このごろの日本人の考え方は、ロシア的になってるのかな


あからさまなダブスタにとぼける人々(すなふきんの雑感日記)

 民間の給与が上がらないのはもちろんマクロ経済環境が悪いからだが、では「公務員の給与を下げたらその分民間給与が上がる」とかもなさそうだし、そういうことを実践して「行政サービスの目覚しい向上」がなされたような話も聞かないように思う。相変わらず税金の無駄遣いをなくせという「正論」の合唱なのだが、結局それだけで追いつくような次元の話ではないということなんじゃないだろうか(行政内部の人間ではないのであまり詳しいことはわからないが)。それよりも何よりも景気が停滞している状況で行政側がこういうことを言い出せば「あの親方日の丸公務員ですら賃下げに励んでいるのだからうちみたいな民間は当然賃下げだよな?文句ある?」と言い出すインセンティブを経営者に与えることになる可能性は高いだろうと思うが。民間サラリーマンはそれでもいいのだろうか。

 こんな話を思い出した。ネタもとは忘れた(司馬遼太郎だったかな? やっぱ忘れた)けど、帝政のころかソビエト時代か、とにかくロシアの民話というか伝承みたいなものだったか。 


 あるところに二組の貧しい農民の夫婦が居て、隣同士だった。農民A夫婦は雌牛を一頭飼っていて、この雌牛が割と質のいい乳を出すので家計が潤っていた。一方の農民B夫婦は何も飼っていなかったので、いつも隣のA夫婦のことを羨ましく思っていた。
 そんなある日のこと、B夫婦のところに天の使いだかなんだかが現れた。隣の夫婦の牛のことを羨む彼らをあわれんだ神様が遣わしたのだ。使いは言った。「お前たちの望みをひとつ叶えてやろう」。B夫婦は大変喜び、こう願った。
「では、あいつらの雌牛を殺してください!」


 www……。帝政のころでも共産時代でも、どちらでも良さそうな話ではある。一所懸命に働けば雌牛が買えるという勤勉さもなければ、全体のパイが増える形での経済発展という発想もない(隣の雌牛が消えるということは大雑把にはマイナス成長だ)。これが西ヨーロッパのお話なら、信心深い農夫が雌牛を貰って、努力の結果百倍に増やしたとか、そんな話になるんじゃなかろうか。
 翻って日本のことを考えても、すくなくとも、高度成長期には、一人一人がまじめに働けば、みんなが三種の神器とかを買える、みんなで豊かになるーーつまり、ミクロの積み上げが積もり積もって、マクロの経済発展につながるという発想が当たり前だったはずだ。
 ところが、今の日本人の考え方は、自分たちの取り分が少ないと文句をつける前に、他人の足を引っ張る感じになっているような気がする。マクロの経済成長が信じられず、個人の努力も報われないという現状は、帝政ロシア農奴か、共産ソビエト時代の労働者に似ていて、だから自分より裕福に見えるものを恨むようになるんだろうかね。