ネットカフェ難民を「救う」のはムリ


 このてのドキュメンタリー番組って、たいていは深夜か、土日の昼間とかだな。id:HALTAN氏が取り上げていた「もやい」が出てくる。

NNNドキュメント'08(日本テレビ)
ネットカフェ難民3 居場所はどこに?
 生活に困窮しネットカフェなどで寝泊まりする隠れたホームレス「ネットカフェ難民」。東京のNPO「自立生活サポートセンター・もやい」はその駆け込み寺として支援を行っている。相談に訪れた人に親身に対応する冨樫匡孝さん(29)は元ホームレス。ワーキングプアの人生に絶望して自殺未遂した過去があり、自分自身も「もやい」で救われた。「もやい」に来る相談は、派遣労働の理不尽、職場が原因のうつ、DV被害、  親との断絶、低学歴など悪条件が重なって解決が難しいケースが少なくない。冨樫さんらが挑む貧困最前線での活動を追う。 

 ネットカフェ難民など自立困難者を生活保護につなぐ、ということで「もやい」という名称らしいが、その活動内容自体は、必要で有意義なものだと思う。生活保護ってのは、知識の無い個人が申請に行っても追い返されてしまうことが多い。「もやい」のメンバーが付き添うことで申請が通りやすくなるならどんどんやったほうがいい。
 ただ、生活保護につないだ後「もやい」の人々が葛藤しているのがよくわからん。富樫さんという相談員の人は、難民の若者を生活保護を受けさせるだけでなく、まっとうに自立させようとして必死に向き合うのだが、それ自体は美しいものの、そこまでコミットすることに社会的に意味があると思ってるんだろうか。富樫さん自身元ホームレスだったからこそ、過去の自分に良く似た境遇の若者に思い入れがあるというのはわかる。しかし、それはすでに非政府(非政府だが、社会的な活動だ)組織としてのありかたを逸脱してしまっている。
 番組中でも、若者が富樫さんに「人を救ったつもりになってる偽善者」と吐き捨てる場面があったが、かれらの関係は、支援組織の人間と披支援者ではなく、人間対人間になってしまっているのだ。富樫さんの全存在を賭けて若者に向き合っても、彼を救えるかどうかわからないし、だいいちどう考えても持続不可能だ。


 ネットカフェ難民のような人々が生まれるのは、デフレ不況のせいであって、彼らの人間性に問題があるわけではない。デフレはマクロ政策でしか解消し得ないのだから、非政府組織にできることは、生活保護受給のボトルネックを広げるという緊急避難的な作業だけだ。保護をとってやったら、もうできることはほとんど無い。それ以上関わり合わず、次の案件に移るほうが効率的。そうやって生活保護受給者をどんどん増やすことにより、政府に社会不安の増大している状況を認識させ、マクロ経済政策の対応を促すことも可能だろう。
 でも「もやい」の人たちは、それじゃ満足できないんだな。組織の目的を何に置いているのか不明だが、少なくとも組織のメンバー個人個人は「目の前の人を救う」ということだけ考えている。でもそのためには、目の前の一人ひとりにいちいち関わっていられない。これがジレンマになってしまってるんだな。