「努力不足でもハケンで食っていけるようにしろ」ぐらいなら要求してもいいと思います

 雪斎は、充分な努力を払ったのに偶々、時代の巡り合わせが悪くて不承不承、「派遣労働者」にならざるを得なかったという人々は、意外に多くはないのではないかと推測する。
 「人は生まれながらにして貴賎貧富の別なし。ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるなり」。現在、中学生が帰宅後に家で勉強する時間は、僅かに一時間だそうである。福沢諭吉の説いた「独立自尊」の精神、あるいは「蛍雪の功」という故事が、いかにも遠いと思われる話ではある。しかし、こういう普段からの刻苦勉励を軽んじる風潮が、実は非正規労働者の苦境を用意したのではないか。


「鳥」と「凧」:雪斎の随想録


 この問題はそう単純にぶった切れるものではないと考えます。雪斎さんのおっしゃるような面も無くはないんでしょうけど。相対的に努力不足な人というのはいつの時代(好不況いずれにしても)にも一定の割合で存在し、現在の日本で特別そういう人が増えているわけではないと思います。
 中学生の家庭での勉強時間が少ない、というのもニワトリと卵で、この失われた十数年の間に拡大した格差が家庭環境に与えた影響かもしれませんし、刻苦勉励を軽んじる風潮*1にしても、以前に比べ、努力としての勉強が報われなくなったのかどうかをまず検証することが必要だと思います。


 つまり、「努力はしたくないが、正社員として雇え」ではなく、「正社員として雇ってくれないなら、努力なんかしないよ」なのでは


 たしかにマスコミが喧伝する「非正規雇用を正社員にしろ」*2とか、「正社員は非正規を搾取している」*3とかの言い分は、欺瞞というか偽善でしかないでしょう。でも、マスコミがしきりに取り上げる「派遣切り」に遭った人々の中で、そんなことを要求しているのは意外に多くはないと推測します。
 ですから、彼ら派遣労働者が、「どうせ正社員にはしてもらえないから、子供のころあまり努力しなかったし今後もあまり努力はしたくない。それでも非正規雇用でそこそこ食っていけるようにしてくれ」と社会に対して要求するのなら、それは充分正当だと思います。

*1:むしろ一部では、まったく逆の「自己実現」をやたらに称揚する風潮があるように思います。

*2:温度差こそあれ、つまるところ、このように要求しているとしか思えないです。ムリに決まってるでしょ。

*3:これには、下請の制作会社との給与格差から、「お前が言うな」というツッコミが方々からなされていますが。