御用マスコミ……なのか?


 今日、ふとテレビを点けてみたら、日テレの『NEWSリアルタイム』がやっていて、普段はめったにこの番組見ないんだけど、なんとなくそのままにしておいたんだな。すると、裁判員制度がもうすぐスタートってことで、アメリカ占領下の沖縄で陪審員として裁判に参加したという、ある日本人男性のインタビューが流れてるところだった。
 この日本人男性は、伊佐千尋さんという人物で、1964年にある傷害致死事件裁判(米兵が被害者、被告は日本人)の陪審員として召喚されたのだという。会社を経営していて忙しい身だったのではじめは迷惑に思ったこととか、結局、証拠として提出された凶器に明らかな疑問点があって、評決は無罪だったとかいう体験談が語られて、「裁判への市民参加は大切」「選ばれた人は大変だが市民の視点で判断してほしい」という伊佐さんのコメントを引き継ぎ、スタジオで締め、という流れだった。


 なーんか嫌な感じがした。裁判員制度の露払いをつとめてるみたいだと思った。なぜかというと、アメリカの陪審員制を話題にしながら、その特徴について一切説明しなかったからだ。そもそも、どうしてこの事件で伊佐さんが陪審に選ばれたのか。アメリカでは、被告はプロの裁判官による裁判と、一般市民による陪審裁判を選択することができる。この事件は、「被告=日本人、被害者=アメリカ人」という構図だから、当然被告はアメリカ人裁判官に裁かれるよりも、日本人も含めた陪審裁判を求めたのだろう。仮に殺人とか死刑相当の容疑だったとしても、陪審員が一人でも反対すれば死刑にはならない。日本でこれから始まる裁判員制度では、裁判官と裁判員の多数決で死刑判決でも下せてしまう。そうした日米の制度の違いにちょっとでもさわれば、即、裁判員制度批判に直結してしまうから、無視したんだろうな。


 でもメインキャスターの近野氏がわざわざ沖縄まで出向いてインタビューなんてなぁと思ってちょっとぐぐってみたら、この伊佐さんって人、日テレでは単に会社経営してたとしか紹介されてなかったけど、けっこう有名人じゃないの。Wikipediaに項目があるほどには。

伊佐 千尋(いさ ちひろ、1929年6月27日 - )は、日本のノンフィクション作家。
東京都生まれ。沖縄県立二中(現沖縄県那覇高等学校)卒業。1964年、米国統治下の沖縄に実業家として在住中、現地人青年四人による米兵殺傷事件の陪審員となり、陪審で致死罪について無罪の評決を得た。しかし判決は重く、のち1977年、伊佐はノンフィクション『逆転』でこれを一種の冤罪事件として描き、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞、これを機に作家に転じた。
(中略)
1982年、「陪審裁判を考える会」を発足、陪審制度の導入を求めている。死刑廃止論者でもある。


伊佐千尋 | Wikipedia

 
 地方紙だが、こんな記事もあった。こちらは裁判員制度についての伊佐氏の意見をとりあげ、アメリカの陪審員制についてもきちんと解説している。リンクは、南日本新聞の「裁判員制度特集」。

評議、市民だけで 「捜査改革」も不可欠/作家・伊佐千尋さん | 南日本新聞(2009.5.6)


 米軍統治下の沖縄で陪審裁判に参加した経験を持ち、裁判員制度に反対する作家の伊佐千尋さん(79)=横浜市在住=が4月末鹿児島市を訪れた。伊佐さんは「裁判員が裁判官に誘導されず市民独自の目で判断するため、評議は裁判員だけでやるべきだ」と主張。一方で、「裁判への市民参加は必須条件」とし、懸念される厳罰化については否定的な見方を示した。
 伊佐さんは「国民的な議論もなく、国は奇形的な制度を国民に押しつけた」と裁判員制度を批判。取り調べ時の弁護士立ち会いや全面録音・録画が実現していない実態も挙げ、「司法改革は公判だけでなく、合わせて捜査も改革しなければうまくいかない」と訴える。


鹿児島の情報は南日本新聞 - 特集・裁判員制度


 まあ、ボロクソですなw 伊佐氏がインタビューで、近野キャスターにこういう意見を一言も述べなかったとはとうてい思えない。マスコミというものが、あらかじめ用意したストーリーに沿った形で情報を加工するものだというのは、経験上いやってほど知ってるつもりだが、これはちょっとヒドすぎないか。
 

 裁判員制度には反対しながらも、市民が無罪か有罪かの事実認定や量刑にかかわることは歓迎する。「犯罪は、学問と関係ない社会の底辺で起きている。その意味では、むしろ社会の底辺で暮らす市民が判断すべきだ。英米陪審制やドイツなどの参審制も、市民が参加している」とし、1943年に停止した陪審法の復活を求める。

 南日本新聞でも伊佐さんは、このように語っていることだし、裁判への市民の参加はいいことだが現行の制度をこう改善すべき、みたいな持って行き方だってあったはず。というか、伊佐さんに話を聞きにいった時点で、現場はそう考えていたんじゃないかな。著書があるんだから(しかも大宅賞受賞作)、事前に相手の考えくらいわかっていたはず。はなっからこんなだまし討ち同然にやるつもりだったとも思えないので、東京に戻ってからどこかでひっくり返されたのか。
 となると、裁判員制度を軌道に乗せたい法務省だかのお先棒を担いだ、というより、検察あたりを刺激したくないという程度の判断だったのかもね。いずれにしても全部想像だが。

23:00追記

 夕方に、書きかけでエントリをアップしてしまったので、ちょっと加筆と訂正をしました。すぐ直したかったんだけど、夕飯の用意をしなくちゃならなかったんで……。

5/8追記

 検察に気をつかったというよりむしろ警察かもね。警察は取調べの可視化=録画には断固反対だぞ、記者クラブとかどうすんだ、と。
 こんな記事も出てるし。つ裁判員制度:県警本部長「調書はナマの言葉で」/神奈川 | 毎日.jp

 21日以降に起訴される重大事件が対象となる裁判員制度を巡り、県警の渡辺巧本部長は7日の定例会見で「供述調書は『ナマ』の言葉を正確に表すことが大切」などと述べ、裁判員制度に対応した捜査を推進する姿勢を明らかにした。
 渡辺本部長は新制度に関し「捜査活動が裁判員の評価対象になり、一層の捜査の適正化が求められる」と指摘。

 録画なんかしなくても正確な供述調書はとれる、ひとりでできるもん!ということかなw