あれは新興宗教みたいなものかと。いやそう思ったからって何かが解決するわけでもないんですが……
id:HALTANさんのところに入れたブクマコメントにレスポンスをいただきました。ブクマコメントだと100字しか書けなくて言いたい事を伝えきれなかったかもしれないと思ったのでエントリたてることにしました。
てゆーか、はじめから面倒くさがらずにエントリ書いてトラバすればよかったんですね orz
2008年10月24日 id:ko_chan *経済, *社会, ウヨサヨ, リフレ, ~HALTAN, *ブログで言及する ウヨの大東亜戦争肯定もサヨの戦争ハンターイも唱える彼ら自身にとって必要な物語で、それをベタに信じてようが嘘を承知だろうが同じ。多数を動員できた物語が真実となるなら、「リフレ」という物語を騙るべき?
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20081024/p2大東亜戦争肯定論について言えば、たまに保守系の政治家が遺族会などの票を目当てにタカ派発言を行うだけで、日本の外務省も皇室も基本は平和外交路線を取っている以上、積極的に唱えて何か意味があるのかなと。麻生さんも村山談話の継承で行くと明言してしまっていますし(首相の「村山談話継承」発言 ネット麻生ファンに失望感噴出 2008/10/ 3 J-CASThttp://www.j-cast.com/2008/10/03028027.html)。
HALTANの日記 | [左]いや、正直に言ってあんまりそういうことがもうさほど楽しいとも面白いとも意義深いとも思えなくて・・・(ごめんなさい)
説明不足がそもそもの原因ですが、ぼくがここで言いたかったことは、保守系政治家が例えば「あの戦争によってアジアを解放した」みたいなことを言うのは、もちろん票のためでもあるんですが、戦争を記憶している世代が、そういう幻想(と、あえて言いますが)を求めているからではないかということです。だから「意義」がない(幻想ですからね)のはまったく仰る通りだと思いますが、少なくとも「意味」はあるのではないかと。
保守政治家のなかには「あえて」そう信じているフリをしている者もいるでしょう(じっさいにあれが解放戦争だったか否かは、ここでは論じません)。しかし遺族会など、あの戦争に関わった人たち(前線も銃後も含め)にとっては、そうでなければ困るわけです。ああした人たちにとって、侵略などであってはいけないし、虐殺などなかったし、従軍慰安婦など存在していてはいけないのです。
それを間違いだとか、嘘だとかはいくらでも言う事ができるのでしょう(例えば、の話ですよ)。しかし、そうやって突っ込んでみたとしても、多分その保守政治家は「たとえ嘘でも、そういう幻想(=物語)が求められているんだから仕方がないではないか」と、言うかもしれませんし、遺族会の関係者やネトウヨな人なら「『日本軍は立派で正しかった』と思いたくて、そればっかり思って何が悪いんだよぉぉおお」と言うかもしれません。ここでは「あえて」信じるフリも「ベタに」そう思い込むのも同じで、端から見る分には、「あれは解放戦争」という幻想(それが真実である可能性だってあるのですが)が一定数の人に必要とされている、ということが観察できるのみです。
そして、サヨの人たちが言っていることにもまったく同じ構図があるのだと思います。「非武装中立(戦争ハンタイの一亜種)」とか「日雇い派遣は禁止しろ(弱者を救え論のこれも一亜種)」というのを動員のためと割り切っている人もいれば、本気で信じ込んでいる人もいると。
で、彼らに対し、非武装中立論の非現実性(それどころか他国に迷惑をかけるおそれすらある)とか、日雇いがなくなったら、かえって労働者が困る(ぼくならもうすこし別の説得の仕方を試みますが▷▷▶http://d.hatena.ne.jp/ko_chan/20080925)とか反論してみても、かれらは、「米軍(≒アメリカ)や大企業(≒資本主義)の悪に自分たちは自覚的(だから自分はエラい)」とか「自分たち以外の大衆(含保守ウヨ)は、米軍や大企業に騙されていて可哀想(てゆーか馬鹿だなw)」などと信じたいから信じているだけだと言い返されてしまう*1。
もちろん上記ウヨ&サヨの言い分は、まったく反論になっていないんですが、馬鹿(含馬鹿のフリ)ほど困ったものはなくて、説得は非常に困難を極めます。かといって放置すればいいかというとそういうわけにもいかず。ウヨの人たちなら、例えば慰安婦問題で米メディアにいわでもの意見広告をして、よけいにアッチの議員を怒らせたりするし、サヨのほうは、HALTANさんがこれまでさんざん粘着……ではない御指摘されてきた通りです。
だから、必要とあらばその都度間違いは正していかなければならないのかもしれませんし、そのためには一見不毛とも思える論争をしなければならないこともあるかもしれません。それはちょうど、HALTANさんもエントリ中でチラッと言っておられたように、オウムみたいな新興宗教にハマった人とのやりとりによく似ていると思います。もちろんこちらの言う事もアチラからみれば、別の新興宗教でしかないわけで(まさに「リフレ教」です)、どっちがどっちを折伏するか、より多くの信者を動員できるか、みたいな勝負にならざるを得ないのが辛いところではあります。
ぼくの言っていることは、もしかしてとっくにご推察かもしれませんが、宇野常寛とかのほぼ受け売りです。この人(実はぼくより若いんですけどね)の言っていることっていうのは、信じるべき価値(大きな物語)を社会が与えてくれない今の世の中では、無数の小さな物語(「解放戦争」とか「戦争ハンタイ」とか)が互いに「動員ゲーム」を繰り返しているんだと。で、そういう状況から自分だけ距離を置くのも不可能、だから自分もそういう状況(動員ゲーム)に自覚的でありつつそこに参加し、同じようにゲームに没頭するフリをしながら、実は新たな価値を広めていくべし*2、というものです。
ぼく的には、宇野氏のいう「大きな物語」のなかに「経済成長」が含まれている事に違和感を覚えたりもするのですが、他の部分には大体同意できました。だからこそ、こんな辺境のはてな村のさらに外れのところで、半径5メートル以外だれも読んじゃいないのに「だからリフレ汁」みたいな駄文を綴っているのかもしれません。まあそれも宇野氏の言葉を借りれば、「自覚的なつもりで、実は幻想に依存しているだけ」*3なのかもしれません。
ちなみにこの本↓です。為念。
- 作者: 宇野常寛
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2008/07/25
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