冤罪事件は「悪代官」がつくってるわけじゃない件

テレメンタリー2008『靴跡は語る〜富山えん罪事件・司法の罪』▷▷▶躁うつ病高齢ニートの映画・TV・床屋政談日誌
 なぜ冤罪が生まれたのか? 警察は面倒なので容疑者を送検して早く「仕事」を終わらせたかった。検察も似たようなことを考えていた。自分はこれも「人手が足りない割には『世間』から成果を求められる」現実がこういう悪循環を生んでいるに過ぎないように思っていて、彼らを責める気にはもう余りなれないんです。

 おおむね同意です。たぶん、警察官も検事も弁護士もそれぞれの個人は、「手早くサクッと」どころか、それなりの職業倫理でもって「仕事」をしていると思います。
 『自白の心理学』という本があって、ちょっと手許に見当たらないのでうろ覚えで書きますが、そもそも刑事事件の捜査官は、目の前の容疑者が「ひょっとしたら無実かも」なんて絶対に考えてはならないと、デカ部屋に配属になった最初に徹底的に叩き込まれてるんですね。そう思わないと絶対に自白なんかとれないし、自白がないと、送検しても検事が起訴してくれない。なぜなら、自白がない状態の否認裁判はとんでもなく時間がかかるからで、そんなことになったら担当捜査官は総スカンで、一生の汚点になるわけです。これは司法のリソース不足のせいも大きいといえるでしょう。
 限られた司法リソースでどうにかうまく回していかねばならない、そういう構造下では、自白をとれる捜査官こそが優秀であるとされるのは、もうどうしようもないと思います。マスコミが、警察を「悪代官」よろしく取り上げてみても、国民からの不信が増大するだけ(警察を疑うなということではありません)で、かえって警察側をかたくなにしてしまい、取調べの可視化など有効な打開策の障害になるだけでしょう。

自白の心理学 (岩波新書)

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