「格差」問題論争はなぜ不毛なのか

 それでも、労働市場へ女性制が進出しても、経済が順調で需要があった時代には、その錯誤は問題にならなかったのです。ところが、バブルが崩壊し、不況になった途端にその問題が噴出してくるわけです。
 労働市場への供給がなくなる、すなわち仕事を通した社会参加への回路が減ってしまった時に、古くさい「男は仕事、女は家庭」というマッチョイズムと、「家庭にいる人間は対等ではない」という男女平等の論理が結びつき、仕事をもった男性が仕事を持たない女性は支えるけれども、仕事を持った女性は仕事を持たない男性を支えない社会が生まれてしまったのです。

gegengaさんへのレス(深夜のシマネコblog)

 こういう論争をみてると対立する双方が、現在の不況をデフォルト扱いしていて、つまり需要不足すなわち、雇用が絶対的に不足する状況が今後も永遠に続くということを前提にしてるなあ、と。
 仕事のない男性の問題なんてもんは、十分な労働需要があれば、一発で解決することだよね。家事労働が差別されてるというが、それにしたって労働需要が十分に大きければ、きちんとした家事労働として評価され、賃金を支払わねばならなくなるんでは? また論争相手の仕事をもつ女性にしてもそれも家政夫or婦を雇用すりゃいいでしょ。
 強引にまとめてしまえば、多くの格差問題と同じで少ないパイを、仕事をもつ男性&持たない専業主婦が独占しているから、もっと仕事を持たない男性にも切り分けろっていってるだけでしょ。
 デフレを前提にするなら、非常に価値のある議論だとは思うよ。いやほんとに。でもね、本当の問題は現在のデフレであり、金融政策の失敗が格差を生み、金融当局の怠慢が、こんな不毛な(と、あえて言う)論争を引き起こすんだよ。