儲かる情報誌のビジネスモデル

ダヴィンチ 2008/04月号

ダヴィンチ 2008/04月号

テレプシコーラ

 「ダ・ヴィンチ」連載、山岸涼子の『テレプシコーラ』を立ち読みする。第2部の第3回目、今は第1部完結後からこれまでの時間を回想で綴っているところ。そろそろ次回は、六花がいよいよローザンヌへと向かうことになるだろう。次号が待ち遠しいぜ。ぼくと同様に、このマンガのためだけに「ダ・ヴィンチ」を読む人も多いのではないか。以前は、(たまには買って)他のページとかも読んだけど、近年は忙しさから、最近は長時間の立ち読みが単純にしんどいので、これだけしか読まない。
 このマンガ、雑誌の判型より小さい綴じ込みになっているのですぐに見つかる。ただでさえ出版不況で雑誌は売れないといわれるのに、こんな「どうぞ立ち読みしてください」みたいなやり方していいのか? しかも「ダ・ヴィンチ」って、本屋でいつまでも売れ残ってる印象なんですけど…と、ここまで考えて、でもよく考えたら、
雑誌社的には立ち読み全然OKで、おそらくは全部計算ずくなのだ
ということに気づいた。実はこれってすごい仕組みなのでは? 広告を仕事にしてるくせに気づくの遅すぎ俺_| ̄|○
 以下に書くことは、出版業界の人には常識なのかもしれないけど、自分の今後の仕事に生かせるようにまとめとして書く。ぼくは、メーカーも小売も基本的には儲かる仕事ではない、滅びることはないにしてもこれから伸びる業種ではないと思っている。どっちも自分ででかいヒト、モノを用意しなければいけないからだ。
 儲かるのはソフト、というのもいいかげん手垢がついた話だが、じゃあどういうソフトならいいかってことは、いくらでも考える余地があるはずだ。そこで儲かるソフトとして広告媒体としての雑誌というものを考えてみた。つまり出版業ということになるが、これは比較的少ないヒト、モノだけですむ。資本の最後の一要素のカネはある程度はかかるが、カネあまりニッポンでなら、アイデア次第でなんとか調達可能だろう。

実はすごい「ダ・ヴィンチ」の儲けの仕組み

 本をよく読む人なら、知ってる人は当然のように知ってるんだろうけど、「ダ・ヴィンチ」のコンテンツって、ほとんどが一見記事風のタイアップ広告なんだよね。聞くところによると、純広(これはタイアップ広告の反対で、ようするに「ワタシは広告です」って広告)含めて8割のページが広告だとか。
 ってことは、女性ファッション誌なんかと同じく、儲けのほとんどは広告収入。雑誌本体はぜんぜん売れなくても、広告収入があるから(゚д゚)ウマー…なんてことはもちろんなくて、広告主が実売数に目を光らせてるから、売れない雑誌はすぐに広告単価を切られる。あるいは広告をひきあげられる。あくまで一般論では。ファッション誌などは一号出すごとに億単位の広告収入があるだろうが、制作費もかなりかかるから、広告が入らなくなるか、単価が下がればあっという間に休刊に追い込まれる。
 では「ダ・ヴィンチ」も同じようなジレンマを背負っているかというと、そうではなくて、ファッション雑誌とは決定的に違っていることがある。それは、
本の広告のカタマリが本を売る場所=書店に置かれているってこと。
 当たり前じゃん、と突っ込まれそうだな(^^;)。これはたぶん親会社であるリクルートの手法をブラッシュアップしたものだと思う。リクルートといえば「フロムA」とか「DODA」などの求人誌。求人誌とはもちろん、求人広告しか載ってない雑誌のこと。読者はまさに「広告を読む」ためにその雑誌を手に取る。カネは広告主=求人元が出すからからタダで配ったっていい。
仕事探しをしている人に雑誌が届きさえすれば、"本当の買い手"=広告主的にはOKだ。
むしろバンバン無料でバラまいてくれってなもんだろう。
 本の広告のカタマリ「ダ・ヴィンチ」も同じで、"本当の買い手"は、広告主すなわち出版社ということになる。ターゲットは、"書店を訪れた人全員"と考えていい。月に何冊も読む読書家でも、年に1冊しか読まない人でも、書店にわざわざ足を運ぶ以上、ある程度は本を買う気持ちがあるはず。こういう買う可能性のある顧客を見込みがあるという意味で「見込み客」*1なんて呼ぶ。いわゆるマーケティング用語ですな。となると「ダ・ヴィンチ」という雑誌は、
"手に取る人全員が見込み客"という、恐ろしく効率がいい広告媒体であるといえるのだ。

ファッション雑誌と比べてみると

 ファッション雑誌に(タイアップも純広も含めて)広告されているものといえば、服にバッグとかアクセサリー、エステ、リゾート、食べ物、スイーツ(笑)、あと整形?など。男のぼくが思いつくまま、ざっとあげるだけでもこれだけ種々雑多な品目があるわけで、この状況で、雑誌を読む人のうちどれだけの人のニーズを捉えられるというのだろう。広告している側にだって皆目わからない、ってのが正直なところなんだよね(これ言っちゃうと身もフタもないがw)。
 「ダ・ヴィンチ」は、(本を買う気のある)見込み客ばかりがいる書店にフツーに(これが実は大きい。ただ雑誌として書籍の流通に乗っけるだけ、低コスト)置くことができる。んでどしどし立ち読みしてもらっちゃう。人気連載の『テレプシコーラ』は、見込み客のなかでも特に購入見込みの高い客ーー「ダ・ヴィンチ」で紹介=広告されるのは主に、文芸書、ライトノベル、マンガなどだから、『テレプシコーラ』が好きな人は、そうしたジャンルとかなり親和性が高いーーを呼び寄せるためのキラーコンテンツというわけだ。
 立ち読み客が広告を見て本を買ってくれるなら、極端な話「ダ・ヴィンチ」本体は売れなくてもいい。むしろ売れすぎると逆にちょっと困るかもしれない。せっかくの広告が、見込み客の目に入らなくなってしまうからね。だから「ダ・ヴィンチ」という雑誌は、次の号が出る日まで、広告として"あえて"置いてあるのであって、別に売れ残っているわけではないのだ。
 "雑誌=媒体の本当の買い手"である広告主からみれば、立ち読みだけで見込み客にリーチはできているから、雑誌がさほど売れなくてもそれなりの効果が期待できる。書店の立場からみれば、雑誌が売れればよし(かつてほどではないにしろ実際けっこう売れてるはず)、売れなくても返品できる(日本の出版業界は返品が自由な決まりなのだ)上に、広告効果で他の本が売れればなおOK。
 そして、媒体の「ダ・ヴィンチ」側から見た場合、極論すれば、
実売に関係なく発行部数が稼げるので、広告単価を維持どころかUPすることもできる
とさえ言えてしまうのだ( ゚д゚)ポカーン。
 こうしてみるとまさに広告主・小売・媒体の三者で見事な"Win-Win-Win"の関係が成立している。この状態は、「ダ・ヴィンチ」のただでさえ一人勝ちな状況をさらに永続させるだろう。*2多分「本」という文化そのものが滅びでもしないかぎり安泰だろうね。余談だが、書評誌(本の紹介をする媒体)ってのは、実は確実なニーズがあるジャンルで、これは日本の新聞書評が本の魅力を伝えきれていないということも関係していると思う。日本では、欧米のようにメディア上である本を巡って論争する、みたいなことが好まれない。批評というよりは本の内容紹介になってしまうから、字数もさして要らない。「このミス」などの人気をみれば、一般読者が何を読んだらいいのか教えてくれるガイド的なものを求めているのは間違いない。

最後に経済学っぽいことを言えば

 今現在、見た目の金利はほぼゼロでも、デフレのため実質的な金利は高く、仮に投資を行っても収益が得にくい状況だ。だから、新たに書評誌を立ち上げ、「ダ・ヴィンチ」のやり方をそのまま真似ても利益に結びつけるのは至難の業だろう。景気が良くなるまで新しい商売は避けるのが利口というものだ。
 「ダ・ヴィンチ」の創刊は1994年。世間はバブル崩壊後の不況に入っていたが、出版界は好況を維持していた(「不況に強い出版業」なんて言われたもんだった)から、この新しい試みはうまく軌道にのり、なおかつ強力なブランドイメージも確立できたのだ。それにしても、いつまでこのデフレ不況はつづくんだろう。さすがにあと5年10年は待てないよね。
 次は、「ダ・ヴィンチ」の儲けの仕組みが、いかに低コストで実現され、また維持されているかということを考えたい。さらに、その仕組みを応用するところまで考えを進められればと思っている。

*1:もし仮に本をまったく読まない客がいれば、それは見込みのない顧客なので、「非顧客」と呼ぶ。もちろんわざわざ書店にやって来る人のなかに、まったく本を読まない人がいるとは考えにくい。

*2:これが「R25」なんかだと、駅とかコンビニとか、配布場所をいくら工夫してみても、"全員が見込み客"という「ダ・ヴィンチ」と比べると、読む人のカテゴリーがバラけがちだから、広告効果も限定的。やはりというか、最近は厳しいらしいという話を聞いた。