基地問題は、地元住民vsそれ以外の日本人の条件闘争だ

「米兵についていった女子中学生も悪い」というネット世論もそれに対する反論とやらも、詳しい状況もわからんくせに何を言ってんだか。

「つらい証言を強いられ、耐え切れなくなったんだと思う。仲良くなりたいという心理に付け込んだ米兵の行為が批判されるべきなのに」。京都大大学院生の森亜紀子さん(27)=山科区=は告訴を取り下げた女子中学生が「もう、そっとしておいてほしい」と話したと新聞で知り、ネット上の中傷にあらためて憤りを感じた。
米軍基地の撤去を求める市民団体のメンバーとして今月1日、中京区の三条河原町でビラを配った。告訴取り下げについて「被害者を支えてこなかった社会の側に責任がある」とビラに記した。

米兵少女暴行 ネットで被害者中傷 京の学生ら怒り 問うべきは基地集中の沖縄(京都新聞ニュース)

被害にあった女子中学生が、その精神年齢なりの最低限の用心をしていたかどうかによっては、「軽卒」と非難されることもあり得るだろうし、「まあ仕方ないね」ですむこともあり得る。告訴取り下げで詳細がわからなくなった以上、判定不能だろ。遅い時間帯に繁華街に居る時点でダメという意見もあるが、夜、女の一人歩きが可能な治安の良さが日本の自慢だったのでは?と思うし、中学生であることが問題なら、学校制度の内部において処罰されるはずなので外野は無関係だ。
サヨの人たちは被害者を利用しようとしたくせに、今更「被害者を中傷するなんてヒドい!」はねえよと思う。(被害者の「そっとしておいて」は彼らに対しても向けられてるんじゃね?)。また、週刊誌が被害者を攻撃したのもオヤジ読者むけの商売で、事実を書いている限りやるのは勝手だが、議論を明後日のほうへ持って行ってしまってる気がする。
そもそも、この種の事件を奇禍として基地反対を訴えるのは、地元住民が、米軍や日本政府からより多くの利益供与を得るため(地位協定の改訂もそこに含まれる)の条件闘争なんであって、ほんとに基地がなくなったら沖縄も岩国もあっという間に干上がってしまうだろう。

京都沖縄県人会は、29日に沖縄から「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」を招いて開く抗議集会に、市内を中心に約30団体の参加を目指している。大湾宗則会長(66)は「沖縄に基地が集中する現状を黙認する人々にこそ責任がある。女子中学生は悪くないという当然のことを、しっかり確認する場にしたい」と強調する。(同上)

議論すべきは、沖縄に基地が集中していることや地位協定への沖縄県民の不満(京都新聞はちゃんと見だしにしてるが)に対して、その他の地域に住む我々がどう交渉すべきかであって、非武装論みたいな妄想とか、中学生女子のあるべき態度みたいな道徳の問題はどうでもいいのだ。
沖縄に基地を置かざるを得ないなら、住民をどう納得させるか、どういう条件なら受け入れてもらえるかを考えるべき。もちろん、今の条件で十分だろ、という議論だってあり得る。詰まるところ、基地を含めた忌避施設問題の本質は、地元住民とそれ以外の日本人の条件闘争なのだ。まあ日本人ぜんたいがそういうことに無関心だから、こんなニュースばかりになるんだろうがね。